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日语学习|学会道歉

2019-01-22 07:30

有时别人对自己做了过分的事之后,那人明明道歉了,却总感觉会很不畅快。如果用了让对方讨厌的方式进行道歉反而会让对方更加愤怒。到底怎么样的道歉会被人接受、才能让人接受呢?


本期单词:

謝る(あやまる):自分の非を認め、相手に許しを求める。詫びる。

承认自己的不是,求对方宽恕。道歉。

例:手をついて謝る。

双手撑地低头认错。



酷いことをされて一応は謝られたけれど、なんだか腑に落ちない。逆に相手に嫌な思いをさせてしまい謝ったけれど、一向に怒りが収まる気配がない。だったらどんな謝罪なら受け入れられるのか、受け入れてもらえるのか。それが分からないままだから、場を収めるためにとりあえず「ごめんなさい」を連発してしまう……。こういった経験はおそらく、誰にでもあるだろう。

有时别人对自己做了过分的事之后,那人明明道歉了,却总感觉会很不畅快。如果用了让对方讨厌的方式进行道歉反而会让对方更加愤怒。到底怎么样的道歉会被人接受、才能让人接受呢?就是因为不知道该怎么做,为了控制住场面才会想着先多说几句“对不起”……相信这种经历大家都有过吧。



心理学者としてカウンセリングの場に立ち会い、世界で300万部以上を売り上げた『怒りのダンス』著者のハリエット・レーナ―さんによる『こじれた仲の処方箋』(ハリエット・レーナー:著、吉井智津:訳/東洋館出版社)は、その「謝り謝られること」を通して、相手とのわだかまりを解く方法について考える1冊になっている。

作为心理学家也作为专业咨询师,全世界畅销300万本以上的《愤怒之舞》的作者哈丽特·勒纳发行了新书《闹别扭的药方》。在这本书中,哈丽特通过解释“道歉与被道歉”,详细地介绍了如何与吵架的人消除芥蒂的方法。


ハリエットさんは謝ることと、男女問わずそれができない人々について20年以上研究を続けてきたという。彼女は第一章の冒頭で

せっかくの「ごめんなさい」の言葉も、誠実さが伴っていないときや、続けるのがつらい会話を終わらせる方法として安易に使われるとき、あるいは正当化や言い訳の手段として使われるときには、力を発揮しないということを伝えたいのだ

と語っている。では、どんなものが相手をイラつかせる「力を発揮しない謝り方」なのか。ハリエットさんはそれらを、

哈丽特不分性别地针对不擅长道歉的人做了20年以上的研究,她在这本书中说道:

我想告诉大家一件事,道歉这回事,如果是不是伴随着诚实的心情的话,如果只是把道歉当作结束让人使人不适的对话的一种便利手段,或者只是作为使自己行为正当化的借口的时候,是不会发挥它原有的作用的。

那么,什么样的道歉是“会让对方更加火大的道歉方法”呢?哈丽特总结出了以下几种模式:


言い訳の畳みかけ

不断堆积借口

→謝罪を伝えたとしても、そのあとにすぐ「でも」と続けてしまうと、せっかくの誠意が帳消しになってしまう。

→在道歉之后立马跟着“但是……”,原有的诚意也会被抵消掉。


お気持ちに気づかなかったアピール

强调没有注意到对方心情

→「ごめんなさい、あなたがそんなふうに思っていたなんて」という言い方は、謝っているようで謝っていない。

→“不好意思,我没有察觉到原来你是这样想的”这种说法听起来又像道歉又不像道歉。


自分は悪くない可能性を含ませる

包含着有可能不是自己的错的意味

→「もしも私が……だったのなら、ごめんなさい」という言い方は、相手を見下した印象を与えてしまうこともある。

→“如果是我真的做了……的话,就对不起了”这样听起来给人一种瞧不起对方的感觉。


謝罪の対象がずれている

道歉对象微妙的不太对

→「私の言ったことで、怒らせてしまって申し訳なかった」というのは謝罪になっていないし、これでは怒った方に問題がある印象になる。

→“因为我说的话让你生气了真是很抱歉”,这样的话根本不算道歉,反而让人觉得好像是生气的那方有问题。


許してもらおうとする

是为了获得原谅才去道歉

→謝ったと同時に、許しと救済への切符を自動的に手にすることができたと思うのは、謝罪を台無しにする。せっかくの謝罪も、そのあとすぐに許しの要求が続くと、傷ついた側の人がたどるべき感情処理のプロセスを遮ってしまうことになりかねない。

→觉得道歉了,就一定能获得对方的原谅,这样子寻求自身的救赎,那会让对方根本感受不到诚意。就算道了歉,如果后面马上就跟着“请你原谅我吧”,那也会让被伤害的人自身的感情处理系统跟不上应有的顺序,而导致道歉无效。


だとしている。また何かにつけ相手に「ごめんなさい」を繰り返すのも、意味のない謝りであって同様にイラつかせることもあるそうだ。

另外如果只是一味说“对不起”这样没有实际内容的抱歉也很容易让对方感到不爽。


では一体、どんな謝罪なら不足がないというのか。それは非常に単純だ。

よい謝罪とは「もし」や、「でも」抜きの「ごめんなさい(もしくは同等の語句)」を含む言葉で、それを取り消したりぼやかしたりするような言葉や行動を伴わないものをいう。

那么到底怎么样的道歉才是圆满的道歉呢?答案反而很简单。优秀的道歉就是不需要任何“如果”和“但是”,单纯的“对不起”一句话(或者类似的词),不要去解释以及辩解自己的行为。


理由を説明したいあまり「ごめんなさい。でもあの時はあなたが……」みたいなことを言ってしまったり、「不快に思わせてしまったらごめんなさい」と言ったりするのは、実はこれっぽっちも謝罪になっていないのだ。しかし全ての場合にあてはまる、謝罪の公式というものもない。それは謝る相手が変われば聞きたい言葉は違ってくるからだ。しかし、

因为太想说明理由最后就把话说成了“对不起。那时候是你……”这种形式,就算原本是想表达“让你感到不快非常抱歉”,也丝毫不能让对方感到歉意。但是话是这么说,却并没有那种能适用于所有场合的公式化的道歉方式。因为对方不同,对方想听的话也不一样。但是《闹别扭的药方》当中说到:


「もう二度とこのようなことがないようにベストを尽くすと約束します」というのが、謝罪を心に届かせるマジックワードなのかもしれない。

と、ハリエットさんは言う。自分の非をただ認めるのは誰にとっても難しく、言い訳をしたり「謝ったのだから許してほしい」という気持ちになってしまったりしまいがちだ。しかし真の謝罪とは、自分を許してもらうためにするものではないのだ。

“我承诺,会为了不再犯同样的错误而倾尽全力”,这句话说不定是一句能够把道歉的诚意传达到对方内心深处的魔法话语。

只是单纯承认自己的错误对谁来说都很困难,所以就很容易变成去找借口或者“我都道歉了你就原谅我吧”这样的心情。但是真正的道歉,应该不是为了让自己获得原谅,才去做的。


この本は自分が謝る側になった場合だけではなく、謝られる側になったときのイラ立ちとその対処法についても触れている。

另外这本书不光是讲了自己是道歉的一方时该怎么办,也讲述了作为被道歉一方时如果感到不爽的时侯要怎么办。


昨今、「謝ったら死ぬのか?」というレベルで絶対に謝罪の言葉を口にしない人がいる。なぜ彼らは謝れないのか。それは自尊心が低いがために自己防衛をしていたり、「本物の男は謝らない」というジェンダーロールに縛られていたり、恥ずかしさが邪魔をしていたりと、さまざまな原因があるとハリエットさんは見ている。そして謝らない人へのアプローチとして、

近来,甚至还有让人觉得“你是道歉就会死么?”这样绝对不会把道歉的话说出口的人。为什么他们不肯道歉呢。那或许是因为自尊心过低而自我防御,或许是被“真正的男子汉是不会道歉的”这样的社会刻板印象所束缚,或是因为觉得不好意思而放不下身段,总之哈丽特总结了许多理由。和这类人交往,她建议道:


あなたを傷つけた人と対話を始めるときには、まずは自分を守ることを最優先に考えて欲しい。あなたの求める回答がなされることへの期待値はゼロまで落としておくのが良いだろう。あなたにできるのは真実を話すことだけ。なぜなら、あなたは自分を守るために話す必要があるのだから。

在开始和伤害你的人对话的时候,首先应该最优先考虑的是如何保护你自身。把“想要得到理想的答案”的期待值降到零会比较好吧。你能做到的只有描述事实,因为你现在是在为了自保而和对方对话。


相手がどう打ち返してくるかはあなたにはコントロールできないけれど、あなたは投げるべき球を投げればよいのだ。

とアドバイスする。謝らない人間から、自分の望んだとおりの対応を引き出すことはできない。ならば自分を守るために、真実を話すことに集中することが必要なようだ。